カルト教団 太陽寺院事件 辻由美


1994年に、スイス、フランス、カナダを舞台に合計で74人の死者を出した集団死事件を
実に緻密な取材と分析でまとめあげたルポルタージュです。

凄惨を極める結果を招いた事件でもあり、その結果に至るプロセスに人間のもっともおぞましい部分を認めざるを得ないにも関わらず、不思議に重すぎる感じにならないのが不思議な印象を与える本です。恐らく、著者の辻さんが、要所要所に差し挟んでいる、フランス生活での実体験や、取材者との生のやりとりの微笑ましい一面が、この本をある程度の重さに押しとどめている要素なのだと思います。

読んでいて非常に興味深いと思ったのは、ぎりぎりのところで集団死を免れた元信者の証言の、「何度も何度も、これはインチキだ、おかしいと思いながらも、これをインチキと認めてしまったら自分がすがるものがなくなってしまうと思った」という証言です。すがるものなく、生きて行くという恐怖から、最後まで服従してしまった、ということらしいんですね。太陽寺院の被害者の会の担当弁護士も、熱狂的な信者になった人たちには、「何か、今の世の中に往きにくいな、という感覚を持っている人」と喝破していました。

:ティエリ・ユグナンにかぎらず、ディ・マンブロは「カルマは終わった」という理由でつぎつぎに教団のカップルを別れさせ、パートナーの組み替えを行っていた。ディ・マンブロに次ぐ地位を得たジュレさえもその例外ではなく、太陽寺院にやってきてほどなく、妻と離婚させられた

:つまるところ、教団に入る前にはぐくんだ人間関係はすべて断ち切ることを強いられた。そんなふうにひとりの人間から過去を奪い去ることは、その人がそれまで培ってきた
勝ち基準を崩壊させることだ。それは絶対的権力の支配下に置くための強力な手段なのである

:パルマンティエは、フランスでジャガイモを普及させるために、ジャガイモ畑を個人で雇った武装兵士によって厳重にガードさせた。そんな厳しい監視のもとで、いったい何が栽培されているのだろうか、と誰しも思う。そこが狙い目だった。夜はわざと監視を緩め、地元民が闇にまぎれて作物を盗み、自分たちで栽培し始めるのに任せた

:太陽寺院は中世のテンプル騎士団の継承者を自称する。欧州の歴史においてテンプル騎士団はさけて通ることの出来ないトピックである。王権をおびやかすほどの権力を持ちながら、フランス国王の弾圧により壊滅させられた。ル・モンド紙によると、テンプル騎士団を受け継ぐ、と称する教団は百は下らないという。

:カルトにかぎらず、ひとは自分たちの正統性の根拠をよくその系譜に求める。権威には高貴な血筋が必要だ

:テンプル騎士団は、十字軍の時代が産んだ岸田んである。もともとの使命は、聖地エルサレムに巡礼するキリスト教徒たちの安全を保障すること。1099年に、十字軍は、セルジュクトルコの手中にあったエルサレムを奪回した。だが、エルサレムへの道は敵の攻撃や盗賊の危険にさらされていたうえ、十字軍の兵士たちはひとたび巡礼を終えるとヨーロッパに戻るので、巡礼の安全を確保することは最大の難題であった。

:1119年、フランスのシャンパーニュ地方出身のユーグ・ド・バイヤンを中心とする9人の騎士たちが、巡礼者を守り聖地への街道を防御することに生涯をささげることをかって出た。エルサレム王ボードワン二世は彼らに財政的な援助を与え、かつてのソロモン神殿の跡地に住まわせた。住居が神殿であったことから、やがてこの団体は「テンプル=神殿」騎士団と呼ばれる

:彼らは質素な禁欲生活をモットーにした。身内でもキスは禁止。狩猟もだめ。同じ食器を二人で使い、肉は週に三度だけ、と言った具体。着飾るのも駄目。それで純血を象徴する白いマントに、赤い布地の十字章が加わり、これが後の世にテンプル騎士団の継承者を自認する人たちのシンボルとなる