発明を呪いたくなるような

その発明によって後世の人類の豊かさを押し上げた品々と、その発明を呪いたくなる様な品々っていうのが、ありますよね。

前者の代表例は、たとえばチューブ入りの油絵の具や数多くの楽器。後者は、銃や原子爆弾でしょうか。

そう、銃。

こんなもの、誰が考えたんでしょうかね・・・

密閉された金属チューブの後端に火薬と金属塊を詰め、火薬を爆発させるとチューブを向けた方向に金属の塊が飛び出す、という恐ろしいほどにシンプルながら強力な殺傷力を持つ武器です。

そして、そのメカニズムは先込めの鉄砲から、やがて火縄銃、レンコンの様なリボルバーを経て、ブローニングの発明したオートマチックから、ガトリング式のバルカン砲へと進化しますが、火薬の爆発圧力を閉じ込めることで金属塊を破壊する対象に向けて発射するという仕組みは皆、恐ろしいほどに同じですね。

銃が、それまでの武器と決定的に違って、実にイヤだなと思うのは、破壊者である主体が自分で発散するエントロピーが、結果としてもたらす破壊と非線形になったっていうことです。それまでは敵や、まあなんでもいいんですけどある対象を破壊しようと思って何か暴力を振るうときに、それを破壊したい程度に合わせて、加える力を加減しなければいけなかったわけです。

例えばそれは刀剣で人を傷つけるときに、表面を傷つけるだけでいい時と、骨まで断ち切るときとでは、求められる力の入れ方が変わるし、そもそも骨を断ち切る様なインパクトと角度を、対象者に対して加えるのはものすごい修練が必要だった訳ですよね。宮本武蔵は天下一と言われた吉岡道場の当主、天才吉岡清十郎をブッた切りますが、それまで誰も刃を体につけることさえ出来なかった清十郎に、それだけのインパクトと角度で日本刀の刃を当てるっていうのは、力学的な最適解に近いレベル、航空工学で言う最適制御で刀を運動させているっていうことだと思うんですが、これは弓でも同じで、やはり人間を貫くような矢を放とうと思えば、思いっきり矢をつがいて、しかるべき距離で放つ必要があります。

銃が、非常に嫌なのは、人差し指をちょっと動かすだけで、人体を完全に破壊する様なインパクトを発生させる、というところですよね。ここに、銃の救いがたさがあると思います。不完全な人間が制御すると、刀や弓では人を殺めることは出来ない。修練を積んで積んで積んで積んで、それでやっと可能になる。でも、銃って何の修練も必要なく、それで、加える自分の力と、相手に与える殺傷力が、ゼンゼンリンクしていないんですよね。これは、致命的にまずい道具だなというふうに思います。

修練が必要ないっていうと、ちょっと反論する人もいるかも知れません。例えば、西部劇で有名なワイアットアープは、生涯に何度も決闘をして、一度も傷ついたことがありませんが、後年語った彼の「勝利の方程式」、インタビューで「決闘に勝つには何が一番大事か」という質問に対して答えた彼の必勝法は、いわく「絶対に当たるという距離で銃を撃つこと」という、なんというか、実にどっちらけな答えなんですね。しかも、加えると「向こうがこちらに気づいていない」という条件も付けて。なんじゃそりゃって感じですね。

でも、第二次大戦の日本海軍のエースの酒井三郎も、左ひねり込みという空戦の必殺技を体得しておきながら、74機撃墜したうちの殆どは、相手が気づいていないうちに後ろ下方の死角に回って、一撃で落としているのだから、実際には銃の戦いというのは、そういうものなのかも知れません(酒井三郎氏は、それが故に、空戦の最大のポイントは、相手が自分に気づく前に、自分が相手を発見できること、つまり視力だと言っています)。

なんか酔っぱらっているんで話がめちゃくちゃになってきました。

最後にもう一個よた話。

西部劇でおなじみのウィンチェスターライフルの発明者は、その名もウィンチェスターという人ですが、この人は、自分の発明した銃で死んだ人の呪いがかかるという強迫神経症に晩年苛まれて、ノイローゼのまま死にました。

こんなもの作るっていうことに、やっぱり人生を捧げた人たちっていうのが居て、それは例えばコルトやブロウニング、ベレッタという人たちですが、何が楽しかったんでしょうかね。

まったく理解できません。