酒のボトルの美術史的な位置づけ


アメリカ合衆国の最南端、キーウェストにアーネスト・ヘミングウェイが過ごした屋敷がいくつか残されています。いくつか、というのは彼が漱石のような引っ越し好きだったから、ということではなく、何度も結婚と離婚を繰り返したから、ということなのですが、いずれの屋敷も東海岸的な上流階級的趣味の上澄みをモノに変えた、という感じで、僕は大好きなのですね。

で、いずれの屋敷も、今現在公開されていて、ヘミングウェイが過ごしたとおぼしきたたずまいを今にたたえているのですが、特徴的なのは、やっぱり「酒」なんですね。

僕がこれらの屋敷をのぞいたのはもう10年以上前なので、今はどうなっているかわかりまえせんが、少なくとも当時は、どの屋敷をのぞいてもリキュールのボトルがミニバーのコーナーに並べられていて、そのボトルのラベルが、実に美しかったことを印象的に覚えています。

以前から、酒のボトルには民族学的な美術と、いわゆる美術史的な美術の交錯点とも言える美しさが発露している、という印象を持っていました。

粗にして野だが卑ではない、という言葉になぞらえるまでもなく、民衆から起こった美術としては洗練されすぎているし、かといって額縁に入れて大理石の像の隣に並べるというものでもないし、そもそもそうすべきでない、という位置づけです。

ただ、プロダクトデザインという分野が、美術の一分野として成立しつつある今日の状況を考えれば、もっとも洗練されたプロダクトデザインとして、体系的に取り上げて研究されてしかるべき対象だと思うんですけどね。

酒屋でいろいろな国の、いろいろな酒のラベルを眺めるのはルーブルに行くのと同じくらい好きです。