脳と日本人 松岡正剛+茂木健一郎

脳と日本人 松岡正剛+茂木健一郎

松岡正剛:湯川さんから聞いた言葉で衝撃的だったのは、女の足の指を嘗める様に、自然の足の指を嘗める自然科学が必要なんや、というものだった。谷崎みたいなことですか、と聞いたら、そうや、あれや。あれを物理学にしたいんや、と言われた

茂木健一郎:一方で、文系の学者たちは相も変わらず小さな部分問題を解いているだけで自分たちは立派だと思っている。彼らは自分をアカデミシャンだという言い方をよくするけれども、アカデミシャンという言葉が何を含意しているか?単に文献学、ないしは学問の業績を文脈へあてはめるというある種の訓練を受けているに過ぎない。そしてトレーニングに従い、そのルールに従ってやっているだけの話なのですね。ルールからはみだしたものには際物だとか、色物だとか、いい加減だと批判するわけですが、彼らのやっていることはわずかな部分問題を解いているにすぎない。そのことにまったく自己批判の視点がないのですね。そのことに僕はずっと苛立っているわけです。

無限はどこにある?至る所にあるよ。君がベッドから下りて部屋のドアにいくまでの軌跡の中に、既に無限の可能性がある。

こういった無限性が、その無限の豊穣さが生かされていない・・・同じことが既にタイプライターから始まっていて、記号化、シンボル化が持っている毒の様な者が、我々の体を変質させていることは、僕は間違いがないと思う

熊本にトンカラリンという不思議な遺跡がある。地下に四百数十メートル、人がやっと通れる様な溝がある。そこを這っていくと、まさに死と再生の追体験をします。本当に怖いのです。怖いと言っても調査はされているし、周りに人もいるのですが・・・彼岸をありありと体験します。

以前、スーザン・ソンタグを東京案内したときに、新宿駅で駅員がマイクでガンガン叫んでいるのを見て彼女が「何て言っているの?」と尋ねたので「電車が来るから白線の後ろに下がれ」と言っていると答えると、次にまた何と言っているのか、と聞くので「電車が参ります」と言っていると。今度は車内に入ると張り紙を指差して「これは何と書いてある」と聞く。「ドアに注意しろ」と書いてあると訳すと、ついに彼女は「こんな醜い街は有り得ない。言葉をこんな風に使うなんて信じられない」といって怒り始めた

松岡:菩薩にひっかかっているんです。菩薩は悟りを開かない。如来にならない仏様なんです。自分ではゴールに行けるのにゴールの前で立ち止まって他人を待っているんです。