Wednesday, April 22, 2009

メディアの現在形 複数著者 新曜社 (まだ途中)

聖トマス・アクィナスは、死後カトリック教会から聖人の称号を受けるが、その審査の過程で強調されたのは彼の恐るべき記憶力であった。

中世では本は珍しかったから、読書というのは「同じ本を繰り返しよんで、それが体と一体になると言える程度まで記憶する」という行為のようであった。

レイ・ブラッドベリ原作でフランソワ・トリュフォーが映画化した「華氏451度」では、壁大のテレビだけがメディアとして認可され、あらゆる活字が禁止される奇怪な未来社会が描かれる。その中で体制に反抗する人は、それぞれが一冊の本を丸暗記し、君は「ミルトンの失楽園」、彼は「シェークスピアのリア王」といった様に、人間が本と化して山林をさまよう設定になっている。しかし、中世の人間は何冊も、アクィナスの様な学者に至っては何十冊という書物を記憶していた。

キリスト教では偶像崇拝が禁止されている。英語ではイメージとなる。そして、この場合のイメージは、初期には三次元の彫像だけを指していたのが、やがて抽象的なものも含めた概念となる。

プロテスタントの説教者たちは17世紀に至ってイメージを心に思い浮かべないで聖書を読むことを民衆に強制した。例えばルターは、15〜16世紀にかけてイメージ排撃の説教をいくつもしているが、この説教の中で彼は、イメージを外部と内部に分け、魂の内部に目に見えない形で生じるイメージこそ、最も危険なものとして排撃している。

イメージと商業を結びつけた最初の大規模な試みは、ドイツの大電機器具メーカーであるAEGのアルゲマイネ・オールター・ラテナーによるプロジェクトである。ラテナーは、建築家でデザイナーでもあるピーター・ベーレンスを雇い、建物から製品に至るまで、ある「一貫したイメージ」を設計させた。今でいうコーポレート・イメージを人為的に統合的に作ろうとしたのである。ベーレンスはこのプロジェクトにおいて、1907〜1914年までのあいだにおよそ100に及ぶAEG製品のデザインを行った

日本における映画産業の全盛期は1958年で、この年、観客動員数は11億2700万人となっている。単純計算で国民皆が毎月一本は映画を見ている計算になる。一方、テレビの民間放送は1952年に、わずか868台の受信契約からスタートしながら、1959年には400万台を超え、この年の映画の観客動員数は10億8800万人と減少し、以後、二度とこのピークを越えることがなかった。

世界史的に見て、日本のこのテレビの普及台数は空前絶後であった。欧州に置いても米国圏においても、これほどまでのスピードでテレビが普及した国は存在しない。

テレビの台頭によりラジオは割を食ったが、一方で新聞は、テレビ欄を充実させることで「コバンザメ」の戦略を採り、テレビの台頭によって部数を減らすどころか、むしろ増やすことに成功した。

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