コンテンツ・フューチャー

■日本のテレビ局はビジネスモデルのシフトに乗り遅れている
:CBSは、ブロードキャストからコンテンツキャストへ、を掛け声に、さまざまなメディアと組んでコンテンツを提供する、という動きをはじめている
:もともとコンテンツの制作力が強かった日本のテレビ局が、それをやらない手はない

■見開き、は永遠のインターフェース:羊皮紙以来、蔡倫が紙を発明すぃ手以来、綴じ方こそ少し変わったけどずっと見開きで来ている
:見開きの、一瞥で知覚する情報量がちょうどいいのだろう

■新しいメディアにおいて「音声」はキー:もともと15世紀くらいまでは黙読しかなかった:幼児は未だに黙読できない

■メディアが変わって制作会社も儲かるようになった:昔のLPレコードは2800円のうち、盤そのもののコストが1000円もした:CDになってそれが一枚60円まで落ちた

■情報のスピードを遅くすれば人類が変わる:例えば一ヶ月前のニュースしか放送できない、記事に出来ないとなると人類が変わる:今は全てが早く届きすぎる

■テレビという枠組みを離れると番組という形態も消えるのかも:局数が限られていて、広告主に時間を買ってもらう、という形態が必然的に番組という枠を生んだ
:インターネットでは局数も時間も無限にあるわけだから1時間とか30分とかで区切る意味がない
:情報的に意味がある単位でコンテンツをきればいい
:それが30秒のときもあるし3時間のときもあるだろう
:しかし広告は見た人×時間(回数)によって料金が決まるので、こういう仕組みとどうあわせるか?

■放送と通信の融合って言葉ではわかるけど、新しい楽しみ方の提案が無い
:堀江さんが放送番組をそのままネットに乗っけられますとか、ドラマの主演女優が持っているかばんが今インターネットで買えます、というのがあったけど、それは違う

■ネットでしか出来ない表現、というのもある 
:山登りのドキュメンタリーをテレビでやろうとすると、準備して上って、という課程を最後に編集して、音楽つけて、ナレーションつけて、っていう風になる
:そういうことじゃなくて、準備して登って、もしかして途中でスタックしたりとか、そういうのも含めてずーっとリアルタイムに追っかけていく、これはネットでしか出来ないと思っています

■YouTubeに入れることで反応がビビッドになる
:ある番組を分割してYouTubeに入れると、コーナーによってヴュー数がすごい変わる
:これは今までの視聴率というフィードバックとは違う:ものを作る側として、何が受けるか、何がいいのか、悪いのかというのについてダイレクトに、迅速にわかるようになる

■コンテンツの嗜好はコンテンツの形態よりも情報の質の問題
:テレビゼンゼン見ない学生でもYouTubeは見ていたりする
:動画コンテンツに興味がないわけではなくて「情報処理のスタイル」が違うということ
:必要なものだけ、エッセンスで見る、というのがインターネット的
:番組というパッケージも否定している

■今問題なのはユーザーとアーティストの間にレコード会社が割って入っていること
:昔はレコード会社は空気みたいなもんだった
:それがコピー問題とかでいきなりしゃしゃり出てきた構図
:アーティストはユーザーとレコード会社の間で板ばさみになっている

■TSUTAYAではレンタルは客寄せの意味しかない
:レンタルの料金はどうでもいい・・・そもそも儲けを出そうと思ってレンタルしていない
:ビジネスの中心はセル
:店舗に来てもらうためのしかけとしてレンタルをやっているに過ぎない
:ビデオを返しにきた客が雑誌を買ったりゲームを買ったりしてくれることで利益を出す
:だからネット配信のレンタルはTSUTAYAにとって代替ビジネスにならない

■パッケージの手応えがなくなってきた:昔はレコードを買うのってミュージシャンの世界に参加する感覚があった

■YouTubeが今の精細度とサイズでいる限り、両立できる:YouTubeで見て、もっときれいで大きい映像で見たい、と思わせる:YouTubeが大画面化、高精細化するとこれはもろに競合になってくる