次世代マーケティングプラットフォーム 湯川鶴章

電通の先輩であるFさんの師匠である時事通信社の湯川さんの本。

紹介したいと言われつつ、紹介されていないのですが、本は読んでいて、これは「ネットは新聞を殺すのか」に続いて二冊目。

思いついたこと。

ネットとマスメディアの比較はいつも広告効果という側面から語られるけれども、それは常に「刈り取り」の側面でしかないということに気づいた。

人がある商品を購入しようと言うときには態度変容プロセスを経て最終的に購買に至るわけで古典的にはそれはAIDMAというコンセプトで整理されているけれども、ネット広告とマス広告の比較は最後のAでしか見ていない。

これは重要な落ち度じゃないかしら。

マス広告には、とりあえず購入に対してReadyじゃない人に対しても接触することで長期的に好ましいパーセプションを作るという貢献があるはず。

これはつまり、マス広告の「種まき」の側面ですが、いまのネット対マスの議論にはこの「種まき」の側面が抜け落ちてしまっている。

企業が短期的な視点に捕らわれて、この刈り取りだけにとらわれると、なんかどうもまずい気がする。

というのが思ったことの一つ目。

二つ目は・・・

広告代理店の人は、よく広告をラブレターに例える、という話で、これは事実僕自身もそうだったのですが、このメタファーをそのまま押し進めて考えてみると、今の消費者って下駄箱に一日3000通のラブレターが入っている状態ってことになる。

で、場合によってはそのうちのいくつかを開封して、実際にその女の子に会ってみるということもあるのかも知れないけど、何度か痛い目に遭えば、ラブレターそのものをもう見なくなっちゃうんじゃないかしら。

ラブレターって、たまにもらうから、ドキドキするわけで、そもそもコンセプトとしてラブレターに例えることが通例になっているのであれば、どういう状態でもらわないとラブレターって読まれないか、っていうことに関してもよく考えてみるべきだと思う。

僕が以前の著作にも書いた通り、日本はいらぬ広告が多すぎて、自分に採って大事な情報が埋没してしまうために、結局は全部シャットアウトする、という行動になってしまっている気がする。

情報のエージェントというか、ラブレターを選別して、あ、この内容とこのキャラクターなら、あの人にとって有意義なラブレターだっていうのを判断する、一種の情報代理人というか、なんていんでしょう、アボカートが居るんじゃないかしら。

少なくとも、僕自身はそういう存在が居て、ある程度のプレミアムを払えば情報の弁別をやってくれるっていうプレイヤーが居れば、それはそれで助かると思うんだけど。

でもグーグルって、本質的にはそういう立場に立とうとしているんでしょうね。