Thursday, April 23, 2009

月と6ペンス (ほぼ)読了

前から眼前にそびえる中型の山として存在していた、サマセット・モームの「月と6ペンス」を、(歯をくいしばりながら、かつ若干残っているが)読了した。

ちなみに、そびえるエベレストは、プルーストの「失われたときを求めて」とか、ドストエフスキーの「罪と罰」だったりする。GWに挑戦してみます。

面白かったけど、残り頁が少なくなってきちゃうのが悲しい、というほどのものでもなかった。


この小説は、ゴーギャンをモデルにした主人公の友人=ストリックランドの、社会的には破天荒に見えながらも、実際には芸術に真摯な人生を、主人公の目から描いた物です。

特に最後にタヒチにわたってからの描写は、熱帯特有の湿度と爛熟があっていい感じ。


この小説は、ストーリーそのものよりも、モームが、ストリックランドの口を通じて語らせる警句とか箴言にその面白さがあるのではないかと思います。一部ピックアップしてみました。

(このセリフは僕の意見ではなく、文中に出てきた台詞でして、必ずしもこの意見にすべて僕が賛同しているわけではないことを、厳にここに記しておきたいと思いまする。)


不幸が人間を美しくするというのは、噓である。
幸福がそうすることは、時にある。
だが、不幸は、多くの場合、人をけちな、執念深い人間にするばかりだ。


よくあることだが、男は結婚すると、かえって他の女と恋愛に落ちる。だが、それが終わると、ふたたび細君のもとへ帰ってくるし、細君の方でも彼を迎えてやる。そしてみんな、これが自然な成り行きだと思っている。


男は愛しているが、女のほうでは愛していない。そうした場合の男に対する女の残忍さほど、恐ろしいものはない。


女というやつはね、男から受ける傷なら、いくらでも許すことが出来る。ところが、仮にも自分のために、男からなにか犠牲行為の奉仕をうけるというのは、絶対に許せないんだからね。


女というやつは、恋愛をする以外なに一つ能がない。だからこそ、やつらは、恋愛というものを、途方もない高みに祭り上げてしまう。まるで人生のすべてでもあるかのようなことを言いやがる。事実は、なに鼻糞ほどの一部分にしか過ぎないのだ。


肉欲というものは、僕も知っている。正常で、健康なものなんだ。だが、恋愛というのは、あれは病気さ。


女というやつは、僕の快楽の道具にしきゃすぎないんだ。それが、やれ協力者だの、半身だの、人生の伴侶だのと言い出すから、僕は我慢がならないんだ


恋人としての男女の差異は、女が四六時中恋愛ばかりしていられるのに反して、男はただ時にしかそれができないということだ


およそ世の中に、妻帯の独身者というものほど哀れなものはない

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