Sunday, May 31, 2009

幸せの尺度

豊かさ、についてメモ

:クルマを運転していると、乗っている自動車の格に応じたヒエラルキーが薄雲の様に路上に漂っていることを感じますね。入りたくないのに序列に入れられてしまって、その序列に従って自分の価値まで値踏みされているような不愉快感があります

:自分はそういう尺度で戦うつもりは全くないのに、人から尺度を押し付けられた上に「ほら、君は僕にこんなに負けているね」と言われるのは実に不愉快ですよね・・・・アメリカが世界に向けてやっているのはそういうことですが、それはともかくとして

:豊かさを感じるのは、文字通り感性の問題であって、持っているクルマや着ている服や住んでいる場所を「他人と比較することで」しか豊かさを感じられないとしたら、それは社会的に共有された尺度を感性に優先させていることになります

:こういう尺度に基づいて計画され、達成された「豊かさ」は幻想でしかなく、実際には「豊か」でないので、達成された後で「アレ、ゼンゼン豊かになっていない気がする」という状態が発生します。あ、でもそのころにはそれを感じる感性すら鈍麻してしまっている可能性もありますが・・・

:そう考えていくと、豊かさ、を社会的に達成してくためには、序列に従って豊かさを判断して行く、というパラダイムから皆で脱却することが非常に重要になります

:矢沢永吉がむかし、ビッグになったら幸せになるって思っていたのに、カネはあるけどゼンゼン幸せになっていないことに気づいた、と言っていましたが、これはさすがに業界をサバイブしたロックンローラーのコメントですね・・・・つまり、ビッグになる=豊かさ、という尺度を持って邁進しながら、感性はぜんぜん鈍麻していなかったということでしょう

:一方で、可哀想なのがグッドウィル・グループの総帥だった折口さんとか音楽家の小室哲哉さんでしょう。お金が手に入ると幸せになる、という尺度から抜けきれず、お金がいくら手に入っても満たされない思いを、さらにお金で解決しようとして散財の瑓獄にはまって行ってしまいました

:ということで、この瑓獄を抜けるには、人と同じ尺度で自分の豊かさを判断しない、つまり絶対的な個人としての豊かさの尺度を持つ、ということと、人の尺度に振り回されない、ということが大事になってきます

:日本人は特に欧米の人に比べて絶対化が不得意な様に思えます。その証拠に日本に置ける中古車価格の安さがあります。米国で暮らしたことがある人はかの地での中古車価格の高さにびっくりされたことがあるでしょう。考えてみれば、中古だろうが新車だろうが、与えてくれる実用的な便益には大きな差がないのですから、価格差がそれほどにならないことは道理にかなっています。日本で中古車がこれほどのスピードで安くなるのは「新しいクルマ」が、実用上の便益とは別の何かをもたらしてくれている、と考えるべきです。そしてその便益とは、尺度において隣のクルマより上に行くことの快感、つまり「優越感」だと僕は思っています。昔、「となりのクルマが小さく見えまーす」という広告コピーがありましたが、これは非常に日本的な感性に基づいた、ある意味よく出来たコピーだと思います。殆どの欧米人にそんなこと言っても「は?だから??」という反応でしょう。

:現代の人の生活は、江戸時代のどの大名よりも安全で健康的だと思いますが、殆どの人は幸せを実感できない・・・それは、どの時代にも存在する様々な尺度での「ばらつき」の中に自分を相対化して見てしまうからでしょう


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