究極的に考えると VS 実際的に考えると

ビジネス週刊誌でよくある「年収ランキング」の特集を見てみると、トップテンのほとんどがマスコミ企業で、そこに食い込んでいるのが大手商社と、余り名を耳にしない専門系の金融企業ですね。

で、前から何となく思っていたのが、マスコミ、というかつまりそれは地上波テレビ局と電通なんですけど、つまり、地上波テレビって言う事業は利権なんで、それを押さえるとやっぱり美味しいんだなということと、それ以上に、利権企業でないのに、大手マスコミとほぼ同様の年収を支払っている大手商社の、商売のうまさっていうことなんですね。

で、ただ、さっき庭に出て月を見ながらウイスキーを飲んで考えていたら、思ったんですけど、結局世の中に利権じゃない仕事って有り得ないんですよね。

そういっちゃうと、身もふたもないんですけどね。

で、そういう考え方を演繹的に押し進めて、企業の利潤は最小化されて、労働者は限界まで搾取される、結果、東から太陽が昇る様に起こるのが共産主義革命だって言ったのがマルクスだけれども、これは結果的には起こっていなくて、相変わらず太陽は東から毎日昇っているのだけれども、共産主義革命は・・・というか革命の結果出来上がった社会は、実質的にはすべて失敗に終わりました。

まあマルクスは、革命が起こる、とだけ言っていて、その先の社会がどうなるこうなるというのは、まったく具体的なことは書いていないのですけど。

で、つまり月を見ながら気づいたのは、大きな利権を持っていない商社は、小さな利権の積み重ねで大きな利益を作っている訳で、つまりビジネスっていうのは、利権を作ることなんだな、ということなんですね。

で、利権を作れば、利益もコストも大きく出せる=つまり商社とかマスコミみたいに、大きな利益を出して、でサラリーマンに生涯年収で5億出せるということになるのですが(今ではどうか知りませんが、僕が電通に入社したとき、入社式で言われたのは、電通は諸君にこれから生涯かけて少なくとも5億の賃金を支払うので、君たちは少なくとも、その10倍のビジネスを、自分たちの手で作って欲しい、と言われました)、一方で、その利権はいずれ人の気づくところになり、価格競争になるというのが、マルクスとかマクロ経済学とかの説くところなんでけど、実際の現場のビジネスマンのあざとさって、多分マルクスとかマクロ経済学者の計算を超えたところにある、というか、もっとアタマいいんですよね。

だってマルクスって、基本的にエンゲルスにたかる以外に収入の道がなかった人で、要するに経済的にまったくセンスない人の書いた経済論なんですよね。なんか、そんなの読んで感動していた60年代の後半から70年代前半の学生のナイーブさに、失笑してしまいそうですけど。

資本主義社会で経済的に成功できなかった人が、資本主義の欠点をあげつらって、やがて資本主義が終わるであろうことを、資本主義社会で、経済的に成功している人の、経済的援助をスペアリブの骨をかじる様にして得ながら出来上がったのが、共産党宣言であり、資本論ですね。

そういう意味では、これらの本は、資本主義の鬼っ子でしょう。

結局、究極的に考える通りに、社会や事業の姿は、実際的に考えると、ならないんだな、というのが、今日、月を見ていて思ったことです。

こういう社会的な環境で未来を予測するには、表面の現象はとりあえず置いておいて、構造的な力学として、ものがどう動くか、ということを考えることがまず必要なのですが、何事も抽象化の度合いが過ぎると、有り得ない物を描いてしまう、ということなんでしょう。