Saturday, June 13, 2009

レオナルドのコンプレックス

レオナルドの素描集を眺めてると、彼が様々なデッサンの対象物のディメンジョンを図ってメモしているのを見ることになります。

例えば人間の足を題材に、その足の大きさとくるぶしから膝かしらまでの距離の比率や、脚の長さに閉める太ももの長さなどを事細かく記録して、その比率を計算してメモしています。

通常、こういったことはデッサン力のない画家が、自分の画力の低劣を補うために一種の補助として用いるためのものですが、言うまでもなく、レオナルドは美術史においてはピカソと並ぶ「デッサンの名人」でした。

恐らく、レオナルドという人は今で言う一種の障害者、奇形の一種だったのだろうと思います。トム・クルーズとダスティン・ホフマンの共演で話題になったレインマンは、サバン症候群の患者の異常な記憶力の良さを映画の中で記述していますが、レオナルドも同様にして、一種の脳の奇形に依って以上な能力を獲得していたのではないでしょうか。映像として脳に入力された信号そのままに手を動かしてそれを再現する、という能力の秀で方が、当時はおろか時代を通しても異常といわざるをえない水準に達している様に思えます。

デッサンに関して、歴史上空前絶後と言えるだけのパフォーマンスを発揮したレオナルドが、なぜあれほどまでに、対象のディメンジョンを事細かに記録することに拘泥したのか。

これほど単純でかつ深遠な(僕にとっては)問いを、実は古今の殆どの美術史学者は研究のテーマとして取り上げていません。

ウィトルウィウス的人間、という有名な図像があります。正方形に各四辺に接する円の中に人体増が描かれている図ですが、レオナルドは、人体をはじめとした「美しい図像」に何らかの原理的な法則を見いだそうとしていたのかも知れません。

ダ・ビンチコードのなかでは「黄金比」という言葉で語られていますが、美学的に人に訴えかける物は何らかの数学的な均衡を持っている、というルネサンス的なテーゼにもとずいて考えているにも関わらず、自分はそんな計算をしなくともどんどん美しいデッサンが出来てしまう、というのがレオナルドのジレンマだったのかも知れません。

マニエリスムまでのヨーロッパ美術の特徴は黄金比とシンメトリーと言い表すことが出来ます。一方で、日本の美術は黄金比はともかく、シンメトリーとは無縁でした。龍安寺の石庭が象徴的ですが、まあ一見何の秩序も無い様に見えるし、ブルーノ・タウトが涙した桂離宮もシンメトリーとは無縁ですね。

そういう20世紀初頭に起こった西洋美術否定のムーブメントを考えると、レオナルドが既に西洋的な美術の限界を考えながら、非シンメトリックな「美」の有り様を、自分の直感に基づくデッサンを超えて思考しようといたことが伺われます。

なぜ、僕のデッサンはこんなに美しいのだろう・・・・わからない
と考えて、そのデッサンに共通する「何か」をディメンジョンの比率から、帰納的に求め杳としてなのではないでしょうか。

:黄金比については下記を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/黄金比

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