千利休について読んで思ったこと


千利休に関して何冊か読んで学んだこと、考えたこと  

■権力と美意識の邂逅によって拡大する文化の地平 

千利休というのは日本における芸術文化史にそびえ立つ巨塔というイメージがありますが、実際に何をクリエートしたのか、という点になるとどうも議論はあいまいになってしまうのではないでしょうか。 

利休自身は堺の魚問屋という出自で大工でも陶工でもありませんでした。待庵も楽茶碗も彼自身の手で作られた物ではありませんが、彼の美意識に基づいて、今風に言えばプロデュースされたものです。言ってみればラルフ・ローレンやグッチを再生したトム・フォードみたいなもので、自信が考える「クール」な美意識に従って生活のプロセスをデザインした人です。

利休は当第一の目利きという評判から様々の方面から茶器や掛け物の鑑定を頼まれ、彼が気に入った物が「利休好み」として高額の値がつく様になります。これは、まあ権力と美意識の極点が重なったことで産まれた一種のフェノメノンですね。

一方で、こういうフェノメノンを起こそうと思ったら、何が必要かというと「全権をゆだねろ」ということです。 今のプロダクト開発のプロセスは、様々な人が開発に関与します。一番駄目な関与者は、調査やグループインタビューという名目で参加する消費者ですね。消費者の美意識は正規分布していなくて下方に拡大しているから平均の誤謬が発生して、調査をすると必ずセンスの悪い人に合わせた商品が出来上がってきます。  

利休の場合、このセンスの悪い消費者のメタファーはそのまま一人の人物が役割を負っています。そう、秀吉です。育ちも良くて小さい頃から質の良い品々に囲まれていた利休にとって、田舎もんの成り上がり、成金の秀吉の趣味は耐え難かったと思いますが、彼は秀吉の趣味を全否定するでも無く、全肯定するでもなく、うまく距離感を取りながら自分の美意識と、秀吉というスポンサーの満足度をバランスさせて行きます。

この美意識を完全に捨てきらない、というところが、今のビジネスマン、なかんずくマーケッターには必要なのだと、ハッと気づかされた次第です。  

■神格化することに依って利益を得る人々 

利休の文化芸術史的な位置づけというのは僕にはよくわかりません。感性の問題と言ってしまえばそれで終わりなのですが、なぜこれほどまでに日本史において巨大な位置づけを持つに至ったのか。その点を考えるときに、利休を神格化することで大きな利益を享受することが出来た権威があったことを考えない訳には行きません。  

ヨーロッパのカルト教団の多くが教祖や教義の出自をテンプル騎士団に求めるのは、由緒あるオリジンを持つことが非合理的な周囲に対する圧迫力を現出させるということについて極めて彼らがセンシティブだったからです。 利休を神格化することは、当然利休の周りにいた人、なかんずくその流派を継いでいった人々、さらに言えばその子孫たちに暗黙の権威を与えることになります。  


■進化の泊まってしまった文化をどう考えるか 

楽茶碗は、利休の美意識に基づいて長次郎が開発した焼きのメソドロジーですが、驚いたことにこの楽茶碗の焼き方は一子相伝で、かつその焼き方は利休の頃と釉薬、窯、土も変わらないということが、非常にポジティブに語られています。

この点について二つ考えてしまいました。  

まず、一子相伝ということに何の意味があるのか?という点。

本当にいいメソドロジーであればそれを解放してより良い作品がたくさん産まれることが社会に取ってはプラスのはずです。一子相伝というのは、いわば著作権が無限に持続して、しかもオリジナルのみならず、同じ方法論を用いて作られる文物すらすべて否定する、という態度です。

これは、現在の世の中の趨勢であるコピーライトフリーの流れとは真っ向から反対する考え方です。  

長次郎という人物の焼き物の才能がどうであったか、を考察することは現在は非常に難しいようです。というのも、利休と長次郎の関係は、デザインコンセプト=利休、実際の作業=長次郎というほど単純化した関係ではなかったらしいのです。恐らく実際には、コンセプトメークと実作業がないまぜになったプロセスの中 で利休と長次郎が感応し合うことであの楽茶碗が産まれているのだと思います。

長次郎には恐らく「ただ焼いた」というだけ以上の、美意識のセンス、芸術家・クリエイターとしての素養があったのでしょう。 それはわかる。ただ、このメソドロジーを一子相伝にしている、というのは、要するに自分で「センスは初代にかなわない。後代はただの人。だから、このメソッドを公開してしまうと”楽茶碗の創設者”という利権を楽家は維持できない」ということを認めてしまっているのと同じではないでしょうか。

確かに楽茶碗は壮烈に美しいと思います。僕自身は曜変天目よりも美しいと思っています。ただ、これを何代にも渡って子孫が作りうるほど、芸術家の血というのは子孫を超えて伝承されるものだとは、僕は考えません。 

例えば音楽でも絵画でも、世代間に渡って歴史のヤスリに耐え抜く様な強かな作品を残し得た「血」というのは殆どありません。唯一の例外がバッハくらいのものでしょう。殆どいないんですよね。モーツァルトもレオナルドもピカソも、その末裔から歴史に名を残した芸術家は産まれていません。  

恐らくここに、日本の文化がある段階で急速にフリーズドライされてしまうことの要因があるのではないでしょうか。そんなにいいメソッドなら解放すればいい。自信があるのなら、解放したメソッドを使ってなお楽本家としての存在感を出したいのであれば人より修行を積めばいい、と思ってしまう僕は偏屈なんでしょうか。 その結果、気になっている二点目である「窯も釉薬も土も利休のころと変えていません」ということをポジティブに宣言するという滑稽な事態が発生して来るのだと思います。  

これって何の進歩もしていないってことですよね。 だって利休が活躍したのって1500年代ですよ。1500年代って、音楽はまだグレゴリオ聖歌の萌芽が出始めたころで、まだポリフォニーすら産まれていない。音楽の父って言われているバッハが活躍したのが1700年代ですから、今の西洋音楽の基礎がやっと産まれようかって言う時期の200年前に進化が止まっちゃったってことですよね。絵画で言えば、まあルネサンスの頃ですね。ラファエロが丁度活躍してきて、これからフェルメールやジョルジュ・ラトゥールが出てきて、この後でゴヤや印象派が出てくる、という、まあそういう時期で止まっちゃっていることを、恥ずかしいとは思わずに宣言しちゃう神経というのはどこから出て来るのか、と考えると、やはりこれは「利権」を守る、神格化した存在を神格のまま維持して行く、というミッションを負っているから、と考えられないでしょうか