幸福論と広告代理店とうつ病

世の中には様々な「三大〜」というのがありますが、幸福論にも「世界三大幸福論」というのがあります。

1:バートランド・ラッセルの「幸福論」
2:アランの「幸福論」
3:カール・ヒルティの「幸福論」

の3つなのですが、皆19世紀半ばから20世紀にかけての人物です。19世紀から20世紀にかけて「幸福とは?」という論議が出て来たのは面白いですね。というのも、19世紀というのは生活水準が産業革命によって急激に上昇した時期ですから、その前の時代に比較して遥かに「暮らしやすい」時代になっているはずですから。

マズローは人間の欲求に段階があることを指摘して、食欲・睡眠欲といった低次の欲求が満たされると、所属・承認・自己実現と高次の欲求にシフトすると説いています。

19世紀に幸福論が社会的に議論されるようになったのは、裏を返せば多くの人が「幸福がわからない。自分は幸福じゃない」と感じていた、ということです。産業革命を経て社会全体の豊かさが高まって、過去の人々があれほど望んでいた「安全で豊かな暮らし=基本的な欲求」が満たされたにも関わらず、あまり幸福を感じられないのは何故なのか?ということだったのではないでしょうか。

ここに幸福というものの有り様を考える一つの鍵があります。その鍵の一つが「仕事」です。

「世界三大幸福論」にはいくつかの共通性があって、その最たる点が「仕事の幸せ」です。どの本でも「仕事をせずに遊んで暮らすのは不幸」であって、幸福になるための大事な要件として「仕事」が挙げられています。これは何もゴージャズでかっこいい仕事、ということではなく「畑に出て6日は朝から晩まで働く」ということを推奨しているわけです。語感的にはむしろ「労働」といった方が正しいかも知れません。

三大幸福論が共通して示唆しているのは、肩書きとか会社のステータスが大事だとかいうことではなくて、恐らく「世の中に確固とした価値を提供している。誰かの役に立っている、必要とされているという実感」が、精神の健康を保つためには必要なのだ、ということだと思うんです。

それで思い出したのが、古巣の電通では最近「こころの病気」にかかってしまう若い人が多いという話なんですね。これって、上記の点になぞらえて言えば、それはそうだろうな、と思ってしまうんです。

電通にかぎらず、広告代理店ってテレビや新聞といった媒体の購入手数料で儲けるビジネスモデルですが、一方で中の人達がなんであんなにアタフタ忙しそうにしているかというと、そことは全然関係のないマーケティング関連のプランの策定とかTVCMの企画とかイベントの実施とか、要するに「媒体の取引=儲け口」とは関係のないところなんですね。で、そういった「アタフタする仕事」はほぼ無料で提供して、その代わりにものすごく儲かる媒体取引をうちにやらせて下さい、というのが基本的なビジネスモデルです。

で、そういう会社において「こころの病気」になる人が増えている、というのは、これはどういうことかと考えるとやっぱり、

自分の仕事に対して、お客様からちゃんとお金を頂く

ということが大事なのではないか、と思った次第なんですよね。広告代理店の今のビジネスモデルでは、みんなで「アタフタ」して作ったりやり遂げたことっていうのは「タダ」なわけですから、それを活用するもしないもお客さん次第なわけですし、そもそも費用が発生しないものについては人間はやっぱりアプレシエイトしないと思うんですよね。で、先述した通り「労働」がもたらす幸福感の本質が「誰かの役に立っている、価値を提供している」という実感によってもたらされるのであれば、このビジネスモデルというのは構造的に「労働による幸福の充足」というのは形成できない、ということになりますよね。

給料の額よりも、本当に「労働」をさせてくれるところを選ぶ、というのが人生を幸福に歩むためのポイントなのではないでしょうか。