CM礼賛

最近、テレビは全く見なくなってしまったのでどんなテレビCMが流れているかも全く知らないのですが、そんな僕にとっての、CM礼賛論です。

結論から言えば、これは「残らないものの力を借りて、残るものを作る」プラットフォームだ、ということです。

例えば大好きな坂本龍一「Dear Liz」や「Floating Along」といった曲は、もともとは百貨店や自動車の宣伝で使われたものです。前者は確かPARCOの、後者はセドリックのCMだったと思います。そしてセドリックはもうなくなってしまったけど、恐らくFloating Alongは、永遠とは言わないまでも、セドリックよりかなり長く残って、多くの人の耳を楽しませてくれると思うんですよね。

ここでは主客が逆転しています。

もともと、広告というのは商品という主に対する客の立場であって、であるからこそ、長いこと広告会社の地位は低かったわけですが、それは経済活動を短期に見ているからそうなのであって、それをもっと長いスパンで見てみると、実は殆どの商品というのは消えていってしまう一方、CMによって生み出された音楽や景色や感性というのはずっと残る上、その残ったものを苗床にしてさらに新しい文化を生み出していくとことになります。

僕はもともと音楽を作ることを生業にしたくて音大の作曲科を受験したりしていたわけですが、最後に電通という会社をわりと感覚的にしっくり来て選んだのも、直感的にその主客逆転の構造を見越していたんだろうな、という気が今はします。つまり、大企業の潤沢な予算を、どうせいずれ消える商品をダシにして使って残したい音楽や映像や感性を生み出す、ということです。

こう考えていくと、最近の広告会社の就職ランキングや転職マーケットでの地位の低下もむべなるかな、という気がします。本質的な魅力が主客逆転の構図であったのに、最近はクソまじめに主である商品の経済的成功をサポートすることに向き合いすぎていると思うんですよね。

残らないものの力を使って、やはり残らないものを作っている。

こんな仕事は世界で一番むなしいと、誰もが思うんじゃないでしょうか。

やはり、残らないものの力を使って、残るものを作るという矜持を、広告関係の人たちには持っていてほしいですね。