オリンパス批判の批判

オリンパスの問題について手厳しく批判している人やメディアを最近よく見かけるけど、誰もが良くないと思っていることを更に上乗せして批判するのは時間のムダだと思うし、少なくとも僕は余りそこに意味を感じません。

スーザン・ソンタグやまあニーチェもそうだけど、批判は、「誰もが悪さに気づいていないんだけど、それを見過ごすことは大きな過誤につながる」という時に行うことでこそ意味があるわけでね。今回の様な明白なスキャンダルを批判するのはオバちゃんの会話っぽくて僕は嫌いです。時間の無駄でしょ。

ということでというわけでもないんですが、僕はむしろ「怖がる」方が健全な反応なんじゃないか、という気がします。何を怖がるのかって?僕自身が、彼ら、つまり「飛ばし」を主導した人達の様になってしまうこと、ダークサイドに落ちてしまうことを、です。

こういったスキャンダルを主導して来た人の殆どは、ごく普通に学生生活を送って、ごく普通に社会人人生を過ごして来て、ごく普通の家庭生活を営んでいる、ごく普通の人だったと思うんですが、ある状況や文脈に身を置いてしまったためにこういうことになってしまったわけで、そこに想像を巡らせれば、人間というものがいかに脆弱で多面性を持ったものか、ということに想い至ります。

「イノベーションのジレンマ」の著者であるハーバードのクリステンセンは、ビジネススクールの卒業生に向けて「監獄に入らずにキャリアを全う方法」についてアドバイスしていますね。本人自身、「どうしてそんなアドバイスをするのかと訝しがるかも知れない」と学生にも言っていますが、クリステンセンのビジネススクール時代の同期数人が、現在監獄に入っているという事実を告げられて始めて、生徒たちは「自分がそのような状況になるはずがないと考えていること自体が既に危険である」ことを意識させられるわけです。

闇に落ちた人を見て批判するのに時間をかけるより、全うな社会人として成功したキャリアを歩んで来た彼らが、なぜその闇に落ちてしまったのか?その闇に自分が落ち込まないための方策は何か?を考える方が建設的だと思います。