セキュアベースとストレスとパフォーマンス


ストレスレベルが高まるとパフォーマンスは高まるけれど、ストレスレベルがある一線を超えてしまうとパフォーマンスはむしろ低下する。従って、組織のパフォーマンスを向上させるには「適度なストレスレベルの維持」がポイントになる、というのは以前から組織開発の専門家の間では常識となっています。

ここで難しいのは、この「パフォーマンス最大点」のストレスレベルが、人によって異なる、ということです。人によって異なるということはつまり、世代によっても異なるということで、ここが最近、いろいろな会社で問題になっているのではないか、というのが僕の仮説です。

例えば、古巣の電通では、残念なことに最近心の調子を崩してしまう人がものすごく多いと聞いています。クライアントからの相談でも、昔の様に「もう後がない」という状況に追い込むと、かつては奮発してすごいパフォーマンスを上げていたのが、最近では却ってつぶれてしまうことが多い、という悩み事をよく伺います。

もし、世代間の特徴として、「ストレスレベル×パフォーマンス」の相関カーブが、ストレスレベルのより低いところにピークが移って来ている傾向があるのであれば、リーダーシップのあり方、マネジメントのあり方そのものを変えないと、組織全体のピークパフォーマンスは引き出せないということになるのかも知れません。

ここで問題になって来るのが「セキュアベース」という概念です。

幼児の発達過程において、幼児が未知の領域を探索するには、心理的なセキュアベースが必要になる、という説を唱えたのはイギリスの心理学者、ジョン・ボウルビイです。彼は、幼児が保護者に示す親愛の情、そこから切り離されまいとする感情を「愛着=アタッチメント」と名付けました。そして、そのような愛着を寄せられる保護者が、幼児の心理的なセキュアベースとなり、これがあるからこそ、幼児は未知の世界を思う存分探索出来る、という説を主張しました。

この概念を現在の企業社会に援用してみると、何をやっても大丈夫、最終的には自分は守られる(=キリスト教的な概念で言えば、you will be forgiven)という感覚が強くどこかにあれば、ストレス×パフォーマンスの関数は、よりストレスレベルの高い段階でピークパフォーマンスを発揮するカーブを描くことになるだろうことは想像に難くありません。

一方で、現在の様に、自分の身分が極めて不安定なものであると認識せざるを得ない状況では、セキュアベースが確保されない分、ストレスレベルのより低いレベルでピークパフォーマンスを、低いレベルで発揮するというカーブにならざるを得ません。

欧米の場合は、最悪、自分が今居る会社において失敗したとしても、雇用の流動性は十分に高く、いくらでも出直しが効くという安心感、まさにセキュアベースがあるわけですが、日本においてはそのような感覚は持ちにくい。

そうなると、失敗が許されない、より減点主義的な会社が増加することで、ストレス×パフォーマンスカーブは全般的に、より低いストレスレベル、より低いパフォーマンスレベルに落ち着くことにならざるを得ないことになります。

こういう状況に対して仮説として対応策は二つ考えられます。

一つは、より早期にピークを迎えるカーブに対応したリーダーシップ、マネジメントのあり方を、上位管理職の人々が身につけるということです。昔の様に、千尋の谷に放り投げて、上がってこなければお前は終わりだ、という教育方針を採用していたら、誰も谷から上がってこなかった、ということになりかねない時代になってきているのです。せめて谷の登り方をレクチャーするとか、苦労している子が居たら、その場まで降りて行って「ここはこうやるんだ」といったコーチングが必要になる、というのが一つ目。

もう一つは、「この会社でダメだったら次で頑張ればいい」という、セキュアベースを社会全体で作ってあげる、という打ち手です。

もちろん個別の会社において、打ち手1を実践して行くのは必須の課題として必要だと思いますが、僕は、先日出版した書籍(=天職は寝て待て)でも同様のことを主張している通り、これからの日本はどんどん雇用の流動性を高めて、何度失敗しても、いずれ自分の生き場所を見つけられればいい、というリラックスのための材料を、社会的に形成してあげることが必要だと思っています。