Tuesday, January 29, 2013

デザインコンピテンシーが企業価値を左右する

先日、Takram Design Engineeringの新設なった表参道オフィスを訪れ、コラボレーションの機会について同社の田川社長とイロイロと議論させてもらったのですが、この議論が物凄く刺激的な内容でした。

http://www.takram.com/

主に議論のフォーカスになったのは「日本企業のデザインコンピテンシーを高める」という論点です。

以前から、特にモノ作りの世界においては、戦い方の基本戦略として「品質でいく」のか「コストでいく」のか、というのが大きな論点になってきました。

先日のポストで紹介したマイケル・ポーターの「競争優位の戦略」では、「差別化」と「コストリーダーシップ」という二軸で戦略オプションを提示していますが、かつての日本企業にとって「差別化」とは、ほぼ「品質」と同義でした。

ところが、ここに来て競争の新しい軸の重要性が増してきている様に思えるのです。

それが「デザイン」です。

「品質」か「コスト」か「デザイン」か。
この三つのどのポイントで戦うのか?というのが戦略上の重要な論点になってきています。

それぞれについて、日本企業のおかれている状況を考察してみましょう。

するとすぐに、まず「品質」で企業価値を高めることは難しい、ということがわかります。これは、クリスアンダーソンが「MAKER」で主張したことでもあるけれど、世界的にモジュラー化が進んで、誰でも部品さえ買ってきて組み立てれば一定レベルの品質が担保出来る世界においては、過剰な品質は価格プレミアムを正当化する材料になりません。今や品質は「それがなければダメだけど、あったからといって必ずしも買ってくれるわけではない」という競争軸になってしまっています。

次に「コスト」。この点については、海外生産を加速したり大量購入で部材を安くしたりといったことでグローバルな価格競争力を備えることに成功したユニクロの様なビジネスもあるけど、他の例えば自動車や家電、サービス産業に適用出来るとは思えません。ご存知の通り、労働賃金や為替の問題から、日本企業が中国や韓国や台湾のメーカーに伍して行くのは非常に難しいからです。

この様に考えて行くと、「品質」「コスト」「デザイン」という競争の三つの軸において、日本企業が今後、その企業価値を高めて行くに当たっては、実は「デザイン」というのが物凄く大きな論点になってくる、ということがわかります。

実際のところ、ここ10年で大きく企業価値を高めた企業の多くが、デザインという軸足での競争力、いわば企業の「デザインコンピテンシー」を高めています。例えばアップルは非常にわかりやすい例だし、サムスンも社内に3000人のデザイナーを抱えていることが知られています。

デザインコンピテンシーが企業業績を左右する、ということになった場合、企業のデザインコンピテンシーを高めるためには二つの方法がある、というTakramの田川社長の指摘が非常に面白い。

田川さん曰く、その一つが CEO(あるいは少なくとも意思決定者)がデザインの目利きになる、という考え方でその代表例がアップルだというのです。なるほど確かに。そう言われてみれば、かつてのソニーの盛田社長(ウォークマンの開発のイニシアチブをとった)もこのタイプに該当する知れません。

そしてもう一つの方法が、必ずしも自分のデザインコンピテンシーは高くないんだけど、デザインコンピテンシーの高い人を見抜いてその人に全て任せる、というやり方で、この代表例は佐藤可士和さんをクリエイティブディレクターに立てて、デザイン関連の全権を委任しているユニクロの柳井社長だ、とのこと。ううむ、なるほど。

一方で、デザインコンピテンシーの低い多くの日本企業では何が起こっているか?

デザインの目利きもないまま、製品開発やブランド開発にアレコレ注文をつけて、プロフェッショナルデザイナーの力量を引き出せず、逆に却ってスポイルしている管理職や経営者の、なんと多いことか。困ったことに、こういう人は得てして「自分はデザインセンスがある」と思っているからなお始末に悪いんですよね。。。。

どんなに機能的に優れていても、価格競争力があっても、グローバルな市場においてそれが必ずしも競争力に直結するわけではない、ということは、ここ10年携帯電話や多くの家電製品での日本企業の凋落ぶりを見れば明白で、だからこそデザインコンピテンシーが重要になるわけだけれども、今の多くの日本企業ではまだその認識にすら達していません。

ということで、組織開発を生業にする僕としては、これからことあるごとに「デザインコンピテンシーの重要性」を吹聴して回りながら、そのレベルを計測して高める方法論を考えて行きたいと思います。

「経営とデザイン」という観点から、お勧めの書籍を何冊か。

まずはこれ。原研哉さんの「デザインのデザイン」


デザインに関心にある人はもう既に読んでいる人が多いと思うし、このブログを読んでくれている知人の多くには「読め」といって勝手に送りつけていますね、すいません。同書において原さんは、デザインというものが経営や社会において、どのような意味を持っているのか?デザインがどのように社会を変える可能性を持っているのか?そして何より、なぜ日本のデザインはダメなのか?という点について考察を述べています。

この最後の問いに対する原さんの考察が非常に鋭い。曰く、

”センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見るてがかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない”

示唆深いでしょう?広義で言うデザイン関連の書籍はざっと目録を確認する限り100冊以上読んでいるけれども、こと経営や社会システムへのインパクトという点では、本書の右に出るものはないと思います。

次は柏木博さんの「20世紀はどのようにデザインされたか」。


柏木さんは多摩美術大学で永らくデザイン史を教えていた先生です。彼は、同書においてデザインが「美」という特質を超えて、20世紀において「差異」を作り出すものになったと指摘しています。曰く

”大量生産が可能になった状況の中では、規格化されたデザインではなく、差異を明確に見せるデザインが市場から要望される。80年代にポストモダンと呼ばれたデザインは、そうした市場の要望に沿う物だった。例えば、ミラノのグループ・メンフィスやスタジオ・アルキミアに代表されるデザインである。それらのデザインは、機能や形態の意味を問題にするのではなく、差異的なメッセージを、まさに企業として次々に送りだすことのみを目的としていた”

世界において「デザイン」という概念の位置づけがどう変わってきたかを考えるには、とてもいい一冊。

最後は、これかなあ。


ジャン・ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」です。大学で哲学専攻だった人は懐かしいでしょ?ボードリヤールは20世紀後半を生きたフランスの哲学者・思想家です。ポストモダンを代表する哲学者といって差し支えないでしょう。

簡単に言えば、ボードリヤールは同書において「他人と自分は違う、といことを周囲に誇示するための消費が経済を加速する」ということを主張しています。例えば、

"消費活動がその中に組み込まれ、そのなかで意味を与えられることになるようなコードに基づいた意味付けとコミュニケーションの過程としての側面。この場合、消費は交換のシステムであって言語活動と同じである”

とか

”消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。他人との違いを強調することは同時に差異の全秩序を打ち立てることになるが、この秩序こそはそもそもの初めから社会全体のなせるわざであって、いやおうなく個人を超えてしまうのである”

とか

”充足は熱量やエネルギーとして、あるいは使用価値として計算すれば、たちまち飽和点に達してしまうに違いないからだ。ところが、今われわれの目の前にあるのは明らかにその反対の現象、消費の加速度的増加(中略)である。この現象は、欲求の充足に関する個人的論理を根本的に放棄して差異化の社会的論理に決定的重要性を与えない限り、説明できるものではない”

といった目から鱗が落ちまくる様な指摘が目白押しです。

それでは、また。


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