選択肢が多いことの不幸

選択肢が多いことは、一般に「よいこと」と考えられていますよね。
ただ、本当にそうなんだろうか、ということを以前からよく考えています。

多くの選択肢を持っているはずの人であればあるほど、自分は一体何者なのか、自分は一体何をやりたいのか、という問いに答えをうまく出せずに、悪い言い方をすると世の中の流れに合わせてハヤリモノを追いかけるだけの、なんというか漂流する様な人生を送っているように感じられるんですよね。

逆に、選択肢が全くなかった人々のことを考えて、本当に彼らは不幸だったと言えるのかしら、と。

例えば神風特攻隊の隊員たち。「きけ わだつみの声」などを読むと、様々な選択肢を持っている僕らは、「国のために死ぬ」以外の選択肢を事実上持てなかった彼らのことをステレオタイプに「軍国主義の犠牲者」という眼鏡で捉え、お節介に哀切を覚えるわけですが、本当に大事なのは、彼らの様な立場や時代を相対化して、言わば「後から目線」で彼らの立場を評論することではなく、シンプルに彼らの身になって皮膚感覚で考えてみることではないかと思うのです。そういう皮膚感覚としての共感を持った上で言葉を探し出してみる、拾いだしてみるということが大事だと、思ってるんですよね。

で実際にやってみると、やっぱりそんなに不幸だったのだろうか、ということを思うんです。

戦争に行って死ぬか、スポーツ選手として生きるかという選択肢を持った上で、やんごとなき理由で前者を選ばざるを得ないということであれば、これは大変な葛藤を抱えることになるわけだけれども、当時を考えれば、これははなから戦争に行くしかないわけで、あとは「立派に最後を遂げる」か「女々しく未練を引きずりながら死ぬ」かくらいしか選択肢がない。であれば前者を選ぶ、ということにまあ多くの人はなるわけで、これはこれでそういう選択肢しかないんだ、と割り切れれば意外にすっきりしちゃうんじゃないか、と僕なんかは思ってしまうんですよね。

選択肢があるというのは意外に不幸なことじゃないか、というこの感覚を、僕は中学生の頃から実は持っています。階級制度がない日本では、すべての職業が(いちおう建前上は)すべての人に機会として拓かれている、ということなんだけれども、それがためにもともと競争する気がない人も無理矢理競争させられちゃって、偏差値というたった一つの物差しで序列をつけられる様な羽目に陥っているわけですね。

少なくとも戦前までは、まあ身分に従って大学に行く人と中卒で終わる人というのが既定路線として決定していたわけで、多くの自由主義者は、すべての人に教育機会は拓かれているべきだ、選択肢は拓かれているべきだ、と主張するわけなんだだけど、結局は本人のドグマを世の中に押し付けているだけで、そこに「選択の自由」を押し付けられてしまった人々に対する共感が働いていないんじゃないかなあ、と思うのです。

「もとから手に入らない」というのと「手に入ったかもしれないのに手に入らない」というのとでは「こころ」に与える影響は雲泥の差があります。前者が締念を生むのに対して後者はルサンチマンを生みますよね。この「手に入ったかも知れないのに手に入らなかった」という感覚と「自分の隣人がそれを手に入れている」という事実が、多くの人に「絶望のちょっと手前の苦悩」を与えていて、これが自殺率の高さにもつながっていると思うのですよね。本当に絶望してしまえば「望み=欲望」は絶たれるわけですから、その生活は、例えば清貧を貫いて毎日神への祈りに生きるアトス島の修道士のそれの様になります。彼らの生活は文字通り経済的な意味に限定すれば「絶望的」ですが、その生活が不幸だ、といわれれば多くの人は違和感を覚えるのではないでしょうか。

選択肢がある、というのはとても辛いことなのかも知れません。選択というのはそのまま自由に結びつく概念ですが、その「自由」がとてもシンドイものだ、ということを歴史的な経緯から分析して指摘したのはエーリッヒ・フロムです。彼は、自由の果実を味わった近代市民が、どうしてナチスの提唱する全体主義に傾斜していってしまったのか、という問いをたてた上で、その答えとして、「自由」はとても美味しそうな果実に見えたけど、実はとても苦いものだった、ということを20世紀初頭になって多くの市民が知ったからだ、という趣旨のことを「自由からの逃走」に書いています。


つまり、選択肢の多い少ないという区分は、幸福か不幸かという状態の区分に対して、あまり大きな意味がないんじゃないか、ということなんですよね。

別に結論があるわけではないのですが、「選択肢が多いことはいいことだ」とステレオタイプに考えている人に、その思想を個人として保持するのは全くかまわないのですが、あくまでドグマであってそれを押し付けられるのは迷惑だ、という人も居るのですよ、ということをお伝えしときたいな、と。