Thursday, April 10, 2014

「身も蓋もなさ」にどう対抗していくか?

ここ数年で気付いたことなんですけど「勝ち」にこだわるといろいろな意味で「味」を失うよなあ、ということを最近あらためてよく考えています。

数年前にF1を直接見る機会があったのですが、その際にマシーンのあまりの醜さに驚愕したという体験が、恐らくこの点について考えるようになった最初のきっかけがじゃないかと思います。自動車、なかんずくレーシングカーというのは、1970年代くらいまでは大変美しいもので、そのまま芸術作品と言ってもよいようなものが沢山あったのですが、現代のレイーシングカーって本当に醜悪で、なんというか深海魚みたいになってきましたよね。

分かりやすい例がラリーカーですかね。えーっと、

旧はこれかなあ。ランチアのラリー037ね。これは1980年代前半のマシンです。「身も蓋もなさ」にWRCが冒される前の最後のマシンですね。四輪駆動が主流になりつつあったのに「美しさ」に拘ってミドシップ×後輪駆動を選んでいるという・・・



で、新はこちら。シトロエンの C4です。これはごく最近のマシンです。


C4は自分で乗ってたくらいなので嫌いではないんですが、デザインとしての「身も蓋もなさ」をわかってもらうには、いい材料かなと。

ラリー037とC4のあいだに見られる極端な美的差異は、そのままラリー選手権という競技がかつての「貴族の決闘」から単なる「ドッグレース」に変わってしまったことを意味しています。「名誉」から「エサ」に報酬が変わってしまったんですね。

こういった変化は、結局のところ「速ければ醜くてもいい」という作る側の論理が支配的になってきた証拠であって、そのコメントというか思想に、僕はある種の「身も蓋もなさ」を感じるんですよね。

この「身も蓋もなさ」というのは、ビジネスやスポーツをはじめとして、いろいろなところで「味をなくす」ことにつながっているよなあ、と最近つよく思うのです。

例えばオリンピック。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進がオリンピックで金メダルを取ったのは大昔のことですけれども、そもそも、あの当時のオリンピックはヨーロッパ貴族の手合わせみたいな場所だったわけで、そこにヅカヅカ土足で入り込んできた男が、人生のすべてを注ぎ込んで一日16時間のトレーニングに打ち込み、その末に勝利して「やった!勝った!勝ったあぁぁぁぁぁ!!!」って騒いだって、周りからは「そりゃお前、あまりに身も蓋もないダロ」と思われてたと思うんですよ。

でもね、ここが大事なところなんですけど、そうやって「身も蓋もないやり方」をやって勝つ人が出てくると、みんな「イヤだねえ〜、アアはなりたくないよね〜」と嘆息しつつも、裏で特訓したりして最終的にみんな身も蓋なくしていくんですよね。「柔道部物語」の後半で、西野が出てきた時に、その柔道の「美しくなさ」「身も蓋もなさ」に三五たちが衝撃を受けてましたけど、まああんな話ですねって、全然わかんねーか。

つまり「身も蓋もなさ」というのは伝染性がある、ということです。

その「身も蓋もなさ」にいまの日本人のほとんどが絡めとられていて、それがさまざまな分野で「味」がなくなることにつながっているんじゃないのかなあ、と思うのですよね。

で、それはわかったからじゃあどうすればいいわけ?

と聴かれそうですが、明快な答えがあるわけではありません。僕自身、もっと身も蓋もなくして功利主義に猪突猛進すればいいのかなあ、と思う時もあるんですけど・・・なんか中途半端ですよね、外資系コンサルティング会社にいてこういうことを言ってるというのも。

でもね、確実に言えるのは、この「身も蓋もなさ」に世界中が覆われると、僕らの住んでいる世界は間違いなく、もっと窮屈でギスギスしてコセコセした、イヤな世界になってしまうと思うのですよ。

なんとかしたいなあ、と思うのですけどね。

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