日本から骨太なビジネス著述家が生まれないわけ

連休の中日、皆様にはいかがおスゴしでしょうか?

小生は、そろそろ東京生活は終わりにしようかと湘南〜逗子の土地物色に終始したGWでしたが、いやあテンション上がりますね。

これは知人の家ですが、イメージとしてはこんな感じ。シルエットは長女と長男です。ちなみに我が家はこの下にさらに怪獣の様な女の子がいます。いやあ、スゴいことになっています。




うむ、まあいいですよね。

結婚する前の家内との定番のデートコースは、鎌倉〜葉山に午後から行って、夕方から海を見つつ、アペリティフを楽しみながら本や雑誌を読んで、その後で地物の素材を使ったイタリアンを食べるというものだったので、まあなんというかバックトゥベーシックという感じです。二人とも海が大好きだし、最近は仕事で徹夜することもなく、かなりマイペースに出来る様になってきたので、そろそろそういう生活もありかな、と。

それはそうと、標題はビジネス著述家の話でしたね。

海を眺めながら考えていたのは、日本で出版されるビジネス書って、ごく一部の例外を除いてなんでこんなにレベルが、特に米国のそれに比べて低いのかなあ、ということなんですが、ああそうか、と瞬間的に理由が見えたような気がしたので、その備忘録です。

ここで言っている米国のビジネス著述家というのは、ドラッカーでありマルコム・グラッドウェルでありジム・コリンズでありダニエル・ピンクのことです。一方、日本のそれは、まあ実名を挙げるのは憚られるのでやめておきましょうか。でもだいたいイメージつくでしょう?

で、結論は「使用言語人口の差異」だなこれは、ということです。

日本語の利用者がまあざっくり一億人で、英語の使用人口が昔の英会話教室の広告によると二十億人なんで、日本語と英語では言語としての市場が二十倍違うわけです。

ところが、本を書くというのはむちゃくちゃ労働集約的で、つまり固定費なわけですから、市場の大きさに関わらず同じだけの日数がかかってしまう。だから、日本のビジネス著述家が、欧米のそれと同じだけの金額を同じシェアで稼ごうと思ったら、市場規模が小さいぶん発行頻度を二十倍にしないといけないわけです。

で、ざっと見てみました。

マルコム・グラッドウェルやジム・コリンズといった大御所が四〜六年程度のスパンで一冊出しているのに対して、日本のいわゆる流行ビジネス本作家という人たちは年に三〜四冊程度の本を出していますよね。これをならせば日本の作家が三〜四ヶ月に一冊の本を出しているのに対して、欧米のそれは四十八〜七十二ヶ月のスパンで一冊を出しているわけで、確かにまあほぼ使用人口規模の差とどっこいどっこいだよなあ、と。

ここまで来れば、もうこたえはわかると思うんですけど、本を一年に何冊も出すって、クオリティを保ちながらやるのは絶対に不可能なんですよね。個人的な経験もそうですし、一般にもそう言われていますが、本を一冊書くにあたっては少なくともその百倍のインプットが必要だと言われています。年に三册の本を出すということは、書くという非常にストレスフルな仕事を抱えながら、同時に三百冊分のインプットもやるということですから、これは不可能とは言わないものの、極めてストイックな生活をしなければならなくなる。一方で、欧米英語圏の彼らは、百冊のインプットを四〜六年をかけてじっくりやることが可能なわけで、これは論考に圧倒的なクオリティ差が生まれるのもあたりまえだよなあ、ということをキラキラと渚に反射する初夏の葉山の夕焼けを見ながら考えたわけです。


このロジックはなにを意味しているかというと、日本において、専業のビジネス著述家から、グローバルな水準でみてもクオリティの高い論考が生まれるということは恐らく無いだろう、ということです。ペシミスティックだって?でもロジカルにはそうでしょう?だって一年に何冊も出さなければ生活できないんだもん。日本では、カリスマ性を獲得するようなビジネス著述家がたまに生まれますが、そのほとんどが五年も経たずに失速してしまう構造的な要因はここにあるんです。これはマルクスが資本論で指摘した「疎外」と全く同じですよね。人間性とか努力とかそういうものではなく、市場の構造的なシステムに起因しているということです。

逆に言えば、日本からクオリティの高い論考のビジネス著述が生まれるとすれば、それは恐らく他に本業を持っているヒト、つまり大学教員を代表する教育に携わるヒトや就業者だということです。他に十分に食えるだけの生業を持っているヒトが、十分に時間をかけて乾坤一擲のメッセージを世の中に出す。そういうかたちでこそ、恐らく世界的な水準の論考というのが日本から生まれるのではないか、ということです。

うーん、どうなのかな。と言いつつ、日本の経営学会の教員からは日本社会にインパクトのある様な論考というのがほとんど出されないので、ちょっと事実とロジックにほころびがありますね・・・まあちょっと考えてみます。