本当に恐ろしいのは独裁者ではなく大衆という・・・

昨晩は自由が丘の「金田」でまた一人酒を楽しみながら読書をしてきた。読んでいたのはカーマイケルの『キリストはなぜ殺されたか』だったのだけれど、改めて、本当に恐ろしいのは独裁者ではなく、大衆であり、自分なのかもな、と思った次第。

これは聖書を読んでも、ナチス史を読んでみても同じなのだけれど、本当に残酷なのは独裁者ではなく、大衆なんだなということを思い知らされる。新約聖書福音書を読めば、連行されたイエスを尋問したピラトは、なんとかしてイエスを無罪放免しようとして交渉をに苦渋しているのが伝わってくる。

結局、ピラトの度重なる「この人に罪を見いだせないが、本当にいいのか?」という問いかけに対して、理不尽なまでに「死刑を!死刑を!」と叫び続けたのは、ごく普通の大衆、つまり僕や君と同じような人々である。

ホロコーストの話を聞けば、多くの人は「よくそんなに残酷なことが出来たな」という感じ方をするが、この感じ方は危ないと思う。そうではなく、クリスマスにはプレゼントを交換し、友達と口論しては傷ついているごく普通の人たちが、あのような行為を平然とやれるということは、自分もまたそうなる可能性もあるということに慄然と恐怖しなければいけない。歴史を学ぶってそういうことなんだよな、と三つ目の徳利を開けたところで納得。