Saturday, May 20, 2017

「経済学を学ぶ」ことの意味

先日以来、ある企業の依頼で若手社員に向けて「独学の技術」の講座をやっています。
前回のお題は「経済学」だったのですが、文字起こしが上がってきたので。

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経済学を学ぶ意味合いについて、世の中一般でよく言われるのは「社会人としての常識だから」とか「世の中の仕組みが理解できるから」といったことなのですが、僕自身は、そういった「教養としての経済学の知識」について、その有用性を否定はしないものの、副次的なものでしかないと感じています。

ことビジネスパーソンが「知的戦闘能力を上げる」という目的に照らして、経済学を学ぶことの意味合いを考えてみれば、そこには大きく二つのポイントがあります。

一つは、「経済学」が研究対象とする「経済」や「市場」が、ビジネスというゲームの基本ルールを規定しているということです。ビジネスには当然ながら競争という側面があるわけですが、ではその競争の「ルール」は誰が規定していると思いますか?

生徒:公正取引委員会?

確かに、公正取引委員会はいくつかのルールを規定していますが、基本的な仕事は不当な競争をするプレイヤーを摘発するのが仕事ですね。他にありますか?

生徒:市場?

おお、正解。実は、ビジネスにおける競争のルールを規定しているのは市場なんです。市場という、人間が生み出したものが、人間とは個別に勝手にルールを生み出してしまう。そしてこのルールに人間は縛られるわけです。これをマルクスは「疎外」と呼びました。疎外という言葉は聞いたことがあると思いますが、別にそんなに複雑な概念ではありません。人が作ったものとが、作り主である人から離れて、コントロールできないものになってしまう。よそよそしくなってしまうことです。

さて、人がコントロールできないものというと、他にどんなものがありますか?

生徒:天気

そうだね、天気はコントロールできないですね。他には?

生徒:異性の心

おおお!いいね、その答え。確かに、異性の心もコントロールできません。この講座では次回に心理学をやりますけれども、天気については自然科学が、異性の心については心理学がこれを対象とするように、市場を対象として研究するのが「経済学」ということになります。

おしなべて学問というのは全てそうですが、人がコントロールできないもの、独自の振る舞いをするものについて、そのシステムが全体としてどのような振る舞うのかを研究するわけです。経済学は中でも「市場がどのように振る舞うか」を研究するわけで、これがビジネスのルールを理解する上ではたいへん重要だということがよくわかるでしょう?

ハーバード大学のマイケル・ポーターという先生がいますね。この人は「競争の戦略」という、競争戦略の定番テキストを書いたことで大変有名なわけですが、この「競争の戦略」という本は、基本的に経済学の、それも産業組織論の枠組みを用いて書かれています。

マイケル・ポーターという人は、もともと経済学で博士号を取っています。経営戦略の大家なので経営学の博士だと思っている人が多いと思いますが、そうではないんですね。経済学では厚生の最大化を目指します。簡単に言えば、市場に健全な競争が行われて、誰もが良いものを安く買えるような社会を「良い社会」と考え、これを阻害する要因を排除することを考えます。つまり、どのようにすれば、一社が独占的に市場を支配し、新陳代謝が起こらないような状況を避けられるかということを考えるわけです。

しかしこれをひっくり返してみて、市場に参加しているプレイヤーの側から考えてみるとどうなるか。一社が独占的に市場を支配し、新陳代謝が起こらないような状況というのは、まさしく理想的な状況なわけですね。つまりポーターという人は、経済学でずっとやってきた研究を裏返しにして、それをそのまま経営学の世界に持ち込んだということなんです。このような事実を知れば、いかに経済学を学ぶことが、ビジネスの世界における知的戦闘能力の向上に繋がるかはよくわかってもらえると思います。

経済学を学ぶことの意味合いについて、二つ目のポイントを指摘したいと思います。それは「価値」という概念の本質について洞察を得ることができることだと思っています。この点をよくよく押さえておかないと、経済学を学んでも「経済学的知識」は増えこそすれ、「経済学的センス」は身につきません。もちろん、知的戦闘能力を向上させる、という点において重要なのは後者です。

具体例を出して考えてみましょう。たとえば「モノの価値」はどのようにして決まるのか、という問題についてはいろんな考え方があります。たとえば、マルクスは「モノの価値は、そのモノを生み出すためにかかった労働の量」で決まる、と言いました。いわゆる「労働価値説」と呼ばれる考え方です。

これはこれで一つの考え方だとは思いますが、現在を生きている私たちの多くにとって、たくさんの手間がかかったからといって、必ずしも「価値の高いモノ」が生まれるわけではないことを知っています。トヨタ自動車の生産性は世界一だと言われていますが、生産性が高いということは「手間がかかっていない」ということです。では手間がかかっていないトヨタの自動車が、他社と比較して価値が低いのかというと、まあそういうことにはならないわけですね。

モノの価値について、現在の経済学では「それは需要と供給のバランスによって決まる」と考えます。同じモノであっても、供給が需要に追いつかない状況では、モノの価値は上昇し、需要以上に供給されれば、モノの価値は低下することになります。これは経済学を学んだ人であれば、誰もが知っている、一種の経済学の定理のようなものです。

しかし、ではこの定理の指摘するところを、ビジネスに活用できているかということになると、むしろ逆のことをやってしまっていることが多い。典型的には広告業界がそうです。これは僕の処女作である「グーグルに勝つ広告モデル」で指摘したことですが、現在の広告業界の苦境は、本質的には彼らの売り物である「広告枠」の供給が拡大したことで、需要と供給のバランスが崩れ、結果として広告枠の値段が下がることで発生しています。

広告枠の値段が下がったとしても、広告枠自体の数が増えればそれはそれで問題ないのではないか、と思われるかも知れませんが、ことはそう単純ではありません。というのも、広告枠を取引するためには必ず一定の業務が発生するわけですが、ここでかかる費用は変わらないからです。

ちょっと難しい言い方をすれば、広告枠については限界売上は逓減するにも関わらず、限界費用は逓減しないということです。「限界」というのは「投入一単位当り」という経済学の概念です。当たり前のことですが、広告枠の単価が下落しても、そこでかかる費用が変わらなければ一件当りの利益率は低下することになります。結果的に、売上全体としてはなんとか維持できたとしても、内部の収益構造はどんどん厳しくなっていってしまうわけです。

では、このような構造的収益低下に陥っている広告業界が何をやっているかというと、一生懸命に新しい広告媒体を作って、売上を上げようとしているわけです。例えば最近では電車内や店舗内で液晶テレビを用いた広告が行われています。専門的にはデジタルサイネージと言いますが、これは典型的に「広告枠の数を増やす」行為ですね。

どうしてこういうことをやっているのかというと、これまでのマスメディア広告、特に新聞広告と雑誌広告が売れなくなってきたからなんですね。広告業界がいま必死になってやっているのは、これまでのマスメディア広告の売上減少を埋め合わせるような新しいメディアの開発で、その一端が店舗や電車内で見られるようになったデジタルサイネージだということです。

じゃあこれで広告業界が復活したかというと、ご存知の通りそうはなっていないわけで、むしろ悪化の一途をたどっている。どうしてこういうことになるのかというと、広告枠の供給量が増えているのに、広告枠の需要が増えていないからです。広告というのは民間消費に直結しますよね。モノが売れれば広告費が捻出できるわけです。ところが、日本の国内GDPはここ二十年ほどのあいだ、年率でせいぜい1%程度の成長しかしていないので、広告の需要は増えません。広告の需要が増えない中で、広告枠だけがどんどん増えているわけで、その結果、当然のこととして広告枠の単価はどんどん下落しているわけです。

先述した「モノの価値は需要と供給のバランスによって決まる」という経済学の基本的な定理を知っていれば、これはありえない戦略です。いま広告業界がやらなければならないのは、広告枠の増加ではなく、全く逆に、戦略的に広告枠を減らしていくことで、一つ一つの広告枠の価値を高めていくことなんですけどね。

実は過去の歴史を振り返ってみて、大胆に供給量を削減することで、モノの価値を飛躍的にあげることに成功した業界があるんだけどなんだかわかるかな?

生徒:石油?

ああ、石油もそうかも知れないね。でももっと意識的に供給量を減らして成功した事例があるんだけど・・・

生徒:金?

惜しい!実は正解はダイヤモンドなんです。これはあんまり知られていないことですが、南アフリカでダイヤモンド鉱山の開発競争が熾烈化した20世紀の初頭、供給過剰に陥ったダイヤモンドの価格はどんどん下落して、「いずれは水晶と同じ値段になる」と言われた時期があったんだよね。

この時、供給過剰の状況を回避したのがアーネスト・オッペンハイマーというユダヤ人の事業家でした。彼は、ロスチャイルド銀行の資金を後ろ盾にして、ダイヤモンド鉱山の採掘した原石を全量買い上げるという、ものすごいカルテルを構想したわけです。

時代は世界大恐慌のあとですから、販売に不安のないこの仕組みを鉱山側は歓迎し、結果的に南アで採掘されるダイヤモンド原石は全てこのカルテルに提供されることになったわけです。その上で、市場に供給するダイヤモンドの量を意図的に絞ることで価格を釣りあげることに成功します。このカルテルが現在のデ・ビアス社の前身だということを知れば、いかに「経済学的センス」がビジネスの世界における知的戦闘能力の向上につながるか、よくわかると思います。



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