パチンコとソーシャルメディア

先日、仲良しと神楽坂のLa Tacheで夕食を食べようと思って神楽坂をテクテク歩いていたのですが、ふとレストランに行く前にお手洗いを借りようと思い立って二十年ぶりに目の前にあったパチンコ屋さんに入りました。

で、用を足してから出口に向かって店内を歩いている際に、めったにない機会ということもあって新鮮な気持ちで周囲を観察させてもらったのですが、その瞬間に感じたことからお店に着くまでの二~三分ほどのあいだにアタマを駆け巡った考察を備忘録代りに記しておきます。

パチンコ屋のスツールに座ってうつろな眼でスロットのボタンをひたすらに押し続けるロボットのような人々を見てまず感じたのは、スロットというのは究極的にはドーパミンの分泌を販売しているビジネスなんだな、ということです。これはいつかのポストにも書きましたが、ドーパミンシステムは予測できない出来事に直面した時に刺激されます。予測できない出来事、つまりボタンを押して絵柄が揃うかどうかわからない、揃えば報酬がもらえるよという状況でスキナーボックスのネズミと同じです。

つまりスロットにはまり続ける人とというのは、究極的には「不確実性」にお金を払っているのかも知れない、ということです。こう考えた僕はなんというか、奇妙な気持ちに捉われたんですよね。だって、通常「不確実性」というのは忌避するものであって、求めるものではないでしょう?しかし、目の前のこの人たちはわざわざお金を払ってまで「不確実性」を購入している。

ドアを開けて店を出ます。ここから先は宵の神楽坂を昇りながら考え続ける。

で、思ったのは、彼らがわざわざお金を払ってまで「不確実性」を求めるのは、逆にいえば彼らの生活から余りにも不確実性がなくなっているからなのかも知れないなあ、ということです。

つまり、ルーチンを繰り返すだけの仕事や完全に予測可能な給与水準等、偶有性が介入する隙間がほとんどなくなってしまった人生を与えられると、人はわざわざお金を払ってまでも、ある程度の「不確実性」を手に入れようとするのかもしれない、ということです。

たしかに「不確実性」という言葉は一般にネガティブな含みを持って語られることが多いわけですが、一方で「希望」や「未来」、「幸運」といったポジティブな概念と結びつけて捉えることも出来るなあ、などと考えてみる。

このあたりで毘沙門天の前を通過します。夜風が気持ちいい。

で、そのまま考えを推し進めると、「不確実性」を求めるこういう人々に対して、実ビジネスにおける「不確実性」をともなうタスク、それは例えば為替のディーリングみたいな仕事を細かく切りだしてクラウドソーシングできないかなあ、というアイデアが、まあ出てきます。もしそういったことが可能になれば彼らのドーパミンと社会的な価値生産を結びつけることが出来るのになあ、と。

で、ここまで考えて、例えばどんなビジネスだったら、こういったかたちでドーパミンを対価として払うクラウドソーシングが成立するかなあと考えていて、ハッと気づいたのが、オイオイもう既にそれを思いっきり活用しているビジネスがあるじゃあないか、ということでした。

そう、フェースブックやツイッターを始めとしたソーシャルメディアです。

彼らは一般に新興メディア企業と考えられていますが、実際にはギリシア時代から存在したアテンションエコノミーに依拠するめちゃくちゃ伝統的なタイプのメディア企業です。アテンションエコノミー、つまり集めた目玉の数×時間がそのまま事業価値に直結するメディア企業ということです。ちなみにグーグルはこのモデルとは異なっていて彼らの事業価値の時系列推移は集めた目玉の数×時間の積の推移とまったく相関していません。

ということで、旧来型のアテンションエコノミーに依拠しているソーシャルメディアでは、目玉の数を増やすために沢山の良質なコンテンツを集めることが必要になるわけですが、フェースブックもツイッターもこの業務をクラウドソーシング、つまり僕や皆さんによる書き込みによって調達しています。そしてその報酬は?もうおわかりですね。そう、書いた人の脳内に分泌されるドーパミンです。僕らはドーパミンというエサが欲しくて機長な時間を使いながら彼らのコンテンツを創るために時間を浪費しているわけです。

そう考えるとなんだかフェースブックやツイッターに書き込むのがアホくさくなってくるなあと、ここまで考えてお店に丁度到着したのでした。

ずいぶんワインをいただきましたが忘れないでよかった。
神楽坂のラターシュ、とても美味しく、お値段も手頃でいい店です。
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13040986/