「アメニモマケズ」への違和感

大好きな宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を知ったのはおそらく小学校の高学年のころでしょうか。以来四十年弱、いつもこの歌を聞くたびに抱いていた微妙な違和感の正体が、ちかごろようやくわかってきたように思うので備忘録として。

ちなみに全文をあげると、


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雨ニモマケズ

風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
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なのですが、子供のときからいつも「ウッ」と引っかかるのが、


ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ


というところなのです。


なぜここに引っかかるのか、あらためて考えてみれば理由は実に単純で、


ナミダヲナガシ ても問題は解決しない。
オロオロアルキ でも問題は解決しない。


ということに気付いたわけです。


要するに「とにかく何とかする、何とか解決してみせる」という気概と根性を放棄している様に思えるんですよね。涙を流したりオロオロ歩いたりしているヒマがあれば原因を究明して対策を打つ為の努力をしろよ、と。


ふう。


いまの世界は問題だらけですよね。でもそれらの問題は涙を流してもオロオロ歩いても解決しません。太平洋戦争直後に出版され、迷える多くの若者たちにとって人生の指針となった吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のなかに次の様な文章があります。


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人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的気迫を欠いた善良さも同じように空しいことが多い。
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 無力な立場にあって「善良さ」の重要性を訴えるのは安易を通り越して恐ろしいとさえ感じる。原発の廃絶やネット右翼への非難をフェースブックやツイッターで訴えて「イイね!」を集めても世界には何の変化も起こらない。
本当に難しいのは、それを実際に成し遂げる為の権力やパワーを得て現実的にコトを起こすということでしょう。葛藤を背負わない日だまりのような場所から世界平和の重要性を説くようなイージーな人々に世界は覆われつつあるけれども、そういった言葉が世界を動かしたことは歴史上ただの一度もないということを我々は忘れてはならないと思う。

世界は常に、泥をかぶりながら理想を追い求めて粘り強く行動し続けた人によって革新されてきたわけで、おろおろ歩いたり涙を流したりした人は結局のところ何も成し遂げられなかったのです。


でもこの歌、ほんと好きなんですけどね。

一部だけ改変しちゃおうかな。