カナダの作曲家Robert Farnonの隠れた名曲『I Loved You』を、知る人ぞ知る名アレンジャー、クラウス・オガーマンがアレンジし、それをアカペラシンガーのユニットとして名を馳せるSingers Unlimitedが歌ったものです。どうですか、美しいでしょう?
クラウス・オガーマンという名前を聴いて「ああ、彼か」とわかる人はかなりの音楽マニアでしょう。ジョージ・ベンソンの『ブリージン』あるいはビル・エバンスの『ビル・エバンス・トリオ・ウィズ・オーケストラ』でオーケストラアレンジをやった人と言えば、イメージが湧きますかね。
そう、あの独特の浮遊感、機能和声から遊離してずっと解決しない和声進行が続くストリングアレンジの、あの人です。楽譜見てみるとちゃんとドミナントも使ってるんで、フランス印象派なんかの和声、それは例えばサティなんかが典型ですけれども、ああいうのとも違う、彼ならではの独特のエクリチュールですよね。大好き。
僕はこの曲のことを脳が溶けるほど好きで、学生時代からずっと聴き続けていたのですが、ふと「歌詞は誰が書いたんだろうか?」と気になったのが数年前のこと。で、調べてみてビックリしたのですが、これ、なんと歌詞はプーシキンなんですよね。
ええ?、知らない!?という人はこのブログの読者には居ないと思いますが、一応書いておけばアレクサンダー・プーシキンはロシア近代文学の創始者と云われる人です。ロシアというのは不思議な国で、国民文学と云えるものが出てくるのがやっと19世紀になってからなんですよね。日本では、一般に8世紀がその時期だと云われていますけど、それだけ「国」としてアイデンティティを確立しにくかった、ということだったんでしょうね。ところが、このプーシキンの後はトルストイ、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、そして極めつけはドストエフスキーと、マシンガンのような勢いでキャラの立ちまくったスゴい作家を世に叩き出していきます。遅咲きの狂い咲き、しかも百花繚乱という、まあそういうことですね。
で、話を元に戻せば、このプーシキンの書いた詩が、ものすごく切ないんですよね。もちろん英訳でオリジナルはロシア語ですが、つぎのような内容です。是非、歌を聴きながら読んで欲しい。
I loved you,
I love you still too much;
But forget this love
That pressed sadly against you will.
I loved you in silence, without hope,
But true, jealous afraid.
I pray that someone
May love you again the same way.
May love you again the same way.
これはねえ、やっぱりこの短さでちゃんと文学になっているんですよね。なぜこの短さで文学として成立しうるか、煎じ詰めれば「語り切らない」ということになるのだと思います。余韻というか、これは日本の美学の根幹でもありますけどね。コンサルティングではつねに「語り切る」ことが求められますけどね。まったく逆なんです。
I loved you in silence, without hope,
But true, jealous afraid.
って、なにがあったんだろうなあ・・・
「I love you」と語る歌は数あれど、「I loved you」というのが、ねえ。似た様なニュアンスの曲にABBAの『The winner takes it all』がありますが、やっぱりこちらのほうがずっと切ない歌詞だよなあ、と思います。
19世紀ロシアで人生を送って最後に妻に云いよる男との決闘の果てに若くして死んだ詩人が書いた詩が、まあ音楽のせいもあるんだろうけど、これほどまでに21世紀を生きる日本人のこころに沁みいるというのは、やっぱり
人の世の切なさは相も変わらず
なのだなあ、とおもわせるのですよね。